以前は誰かのために自分を犠牲にしても何も思わなかった。きっと犠牲にしてる事すら自分にとってプラスになっているという勘違いをしていた
エディさんが教えくれた
ゴミ処理場
私は、ゴミ処理場そのものだった
誰かの苦しみや痛みを拭った分、自分の中に受けいれた時点でその分の感情などがゴミと化す
ゴミを受け取った事になる
そしてそれを自分の中で処理をする….
人のゴミばかり処理して
いいように使われていただけだった
自分の心の処理は二の次
SOSは出していたのかもしれないけど顧みることさえしようともしなかった
こんなだから自分が心の奥底で苦しんでいる事にさえ気付くはずもない
よく悩み事などの相談を受けて、相手が辛い思いを抱えてるほど話を聞いてる最中に胸が痛くなる事があった
その時に相手の心に寄り添い、相手の感情と自分の感情を一致させて痛みを引き受けた事になっていた
相手側も一旦は気持ちは軽くなるかもしれないけれどそれが本当の解決にはならない
そしてまた同じ事を繰り返す
愚痴を吐きたいだけ吐いて
またゴミが増える
ゴミを出す側か
受け取る側か
どちらにしてもゴミ処理場は必要ない
ゴミ処理場が稼働した所で
誰1人として救う事はできない
いかに生産性のない
“無駄な時間”と“無駄な労力”
の使い方をしていたかが分かった