常識は誰かが作ったもの

 

明けまして

おめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

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この挨拶をすると強制的に必ず悪い事が一つだけ起こるシステムの世界になったら、新年早々この挨拶をしないのが常識になるのだろうか。

そもそも暦は誰が作ったのか。

一年が終わってまた一年が始まるこの仕組みにどんな意味があるのか。そして一年が明けて心の底から本当におめでたいと言えるのか。

 

一月一日は元旦で、正月が始まる。
この国の風習は遥か昔から日本人として生きてきた先人達が作り上げてきた常識の上に成り立つ。

その常識にのまれてただ流されていくだけの人生か、それともその常識を使って自分の物語を中心に取り巻く人生にしていくのか。選択肢はいつでも誰にでも持ち合わせている。


一つ一つの出来事に意味付けをしていく事でその現実がより重いものになり失敗も減っていく事を知った。

 

何のために“それ”をやるのか。

何のために“それ”を買うのか。

何のために“それ”を求めるのか。

 

軽ければ軽いほどなくなり
重ければ重いほど残っていく


ただ“それ”を受動的に流されるままに行動するのではなく、常識を使う考え方がベースになってくると周りに振り回される事もなくなってくるのかもしれない。

 

アメちゃんサロンでアメちゃんが教えてくれた事。

子供達にお年玉をあげた後の行動が大事。

お金をもらってただただ喜んで
あれ買おうこれ買おうと
欲望のままに自分を満足させる
使い方をするのか

それとも自分を守る
という考えの入った使い方をするのか

 

自分を守る使い方だなんて考えた事なかった。
お金は必要な分だけ使えば良いというのが倹約家のベーシックな使い方だけれど、自分を守るためにだけにお金を使っていたら当然無駄遣いが減る事が想像できる。

自然にお金が貯まっていくし自分自身の内側とも向き合いつつ自分を守れる考えがいれられる。意識が外ではなく中にむけていられる。

 

あげる側も貰う側も考え方を変えるとこんなにも変わってくる。常識をどう使っていくのか学んだ一年だったけれど、まだまだ奥が深く掘れば掘るほど新しい発見がある事を思い知らされた今年の幕開けだった。

このたび災害において被災された多くの方々へ
この場を借りて心よりお見舞い申し上げます。