先月、雨上がりの公園を散歩している時にふと思った事。
前日降った雨が乾き切っていない公園に聳え立つ木々がとてもダンディに見えた。
立ち止まって写真におさめようと思い撮ってみたものの、どの写真も肉眼で見るのとはだいぶ違ってしまい少し残念な形になってしまった。
紅葉で葉が落ちて、雨に流されて、綺麗になって、ダンディに見えたって表現はおかしいかもしれないけれど、これを人間界と重ねたら何度も何度も涙を流して綺麗になってまた新しい自分になれる。
雨が涙だとして、
ある気付きがある事に絶望して涙を流して綺麗になって、そして新しい考えをいれられる。
古い自分や考えを捨ててこれから変わる瞬間がこの木々達と重なってダンディに見えた。こうやって変わり続けていくんだって。
再び
“人は絶望した時や
涙を流した時に
変わる事ができる”
だから絶望は新しい始まり
同じ考えのまま変わらずに日常を過ごし続けると現実的に脳の劣化にもなり、老化も早まってしまう。エディさん
一年が終わり、また一年。例え変わり続ける日々の中で苦しみを伴ったとしても、変わり続ける事は自分にとって必要不可欠な武器になる事を再認識させる出来事だった。