腸の世界で生きれるようになっていくと、自分に必要な人としか出会わなくなるそう。
嫌な人が周りにいる時点で、まだまだだということも分かる。
でもその“嫌な人”というのがミソで、ここがチャンス。選択次第でその人と次に会った時の感覚が変わってくる。
その人を避けて見過ごして見えないふりをするのか、それともその嫌な人ととことん向き合って問題を打破していくのか。
打破といっても相手と討論して解決する訳ではなくて自分の中で討論する。
例えば仮に職場の上司が、自己中な性格で人の事は一切考えずに自分さえ良ければ良い人だったとする。
その人の嫌な部分は自分にもなかったのか考える。
中々見つからない時もあるけれど、ふとした瞬間に一致する事があるから頭のどこかに置いておく。
“嫌な人”だけではなく、イラっとしたり許せなかったりした小さなことさえも余す事なく拾って逃さずにロックオン。
なぜ自分もその嫌な部分を持っていたのか自問自答していく。
そうすると答えがどんどん広がっていく。
「あなたもしかして外では良い顔して家では自己中なタイプ?」
「違うなぁ、そうなのかな?」
「じゃぁなんでこの人が嫌だと思うの?」
「…」
「人を操作したい気持ちがあるとか?」
「え?」
「それともただ甘えてるだけ?」
「いや、そんな事はない」
「じゃぁなんで?ただの子供じゃないか」
「‥…」
このやりとりを続けていくとどこかで納得する瞬間がある。
自分をもう1人の人として色々問いかけていくとが返ってくる答えが必ずある。
そこを逃さない。
こんな風に向き合っていく事で自分が知らなかった部分に気付く事ができる。
そして自分で自分を終わらせていく。
自分にもあの上司みたいな部分があったんだ。ダサいからこれからは気を付けようって。
この時点で消化したような感覚になる。
そもそもなぜその上司を嫌だと思ったのかも考え所。心の中で何かがなければ反応する事さえなかったはず。
同じような人と出会い続けてるって事は自分は変われていないって事だし、新しい出会いがあるはずが出会えてないって事は新しい発見や気付きもその分できなくなってしまう。
“嫌な人”がただ“そこに存在するだけの人”になれば問題さえも問題ではなくなっていく事を学んだ。