悪魔界では悪魔が人間に修行をかけるという仕事がある。修行は人それぞれ違い一人につき15個以上が平均で、その修行をまんまとこなしてしまうとどんどん増えていってしまい収拾がつかなくなってしまう。
これは“試練だ”と思い込んで登ってしまった階段が悪魔の修行だったなんて心底絶望した
自分なりに考えた結果、私の修行を幾つか例に出すと
- 人と馴染む
- 人を助ける
- 弱い人と関わる
など
思い返してみれば外側ばかりフォーカスして肝心な内側の声をないがしろにする事ばかりだった。そうやって見つかってしまっては困るフトコロをうまい具合に隠しながら修行をかけてくる。
あなたは何の修行をかけられていると思いますか?
ずっと続けている事の中にもしかしたら修行が入っている可能性があるかもしれない。
もし修行が見当たらない人がいたら腸に近い生き方をしているという事
腸の勉強をして尚且つそれを実践している人には悪魔は介入できないので実践あるのみ
腸の学びの中で、聞いた瞬間に身体中に電流が流れる程の衝撃を受けた言葉があったので今回はその話について
まず自分の過去を軽く振り返ってみる
- 育児中に母にお金を貸し続けた事
- 友達からは悩み相談を受けがちだった事
- 父の仕事を手伝いながら祖父の軽い介護
- 家族の仲裁
- 妹が病気の時のお金の工面
人を助けてばかりの人生だった
もちろん全部がせんぶ好き好んでやってきた行動ばかりではない事は確かで自分の意に反していた時もあった事、今だから分かる。
ここで腸から学んだ言葉は
“自分を助ける”
という事
そして
自分を助ける=腸を助ける事にもなる
という事
世間では善い行いをすればそれがいつか返ってくると言われていたけれど、人外にはそれが返ってくることはない事も知って確かに納得した。自分の身を削ってきたのだから魂だってきっと苦しんでいたに違いない。
これはどこのスピリチュアルでも聞いた事はないし、無償の愛とか何とかいってなされるがままだったあの頃の自分にとってまさに目から鱗だった
人を助ける前にまず自分を助ける
助けなければならない状況になった時に、すぐに答えを出さずに一旦自分に相談してみる。それが嫌だったら断る。自分の許容範囲内でできる事だけをしていく。
今まで助けを求められていた訳ではないのに勝手に先回りして人の世話ばかり焼いていた
でももう自分を犠牲にしたりなんかしない
周りがなんと言おうと
自分は自分を生きるだけ